自分の意見を
ハッキリと言える人が、苦手だった。
言えない自分が
ものすごくかっこ悪く思えて、嫌だった。
私がハッキリ言えないのは
“言えない”だけの時もあれば
“意見が特にない”時も多々あった。
そんな風に
お気楽で、ふわふわしてて
ただ人に合わせてヘラヘラしてしまう自分が
ものすごく惨めに思えるから、嫌だった。
自分もハッキリしなきゃ、
意見を持たなきゃ、
言わなきゃ、と
変なプレッシャーを自分にかけては
結局できない自分に苛ついた。
いつからか我の強い人には
壁を作るようになった。
自分の弱さに直面したくないから
避けるようになった。
でも、、ね。
言いたいことをズバズバ言える人の方が
『凄くて、偉くて、かっこいい』
なんて、一体誰が決めたのだろう・・・?
いつからか、
世界中にそんな法則があるように
私は、勝手に誤解していた。
でも、それは本当に“勝手な”誤解だった。
本当は、そんなことなかった。
ヘラヘラしてても良い。
かっこ悪くても良い。
人に合わせて何となく笑ってたって、全然良い。
思ったことズバズバ言えなくても良い。
酔っ払った時だけは、ちょっと強気に言えて良い。
言えないから、こうして文章に書いてて良い。
昔からそうだったんだよね。
付き合ってた彼へも
喧嘩した友達へも、
思ってることはいつも
手紙やメールに書いていた。
だから本当は、それが自分。これが自分。
それで良い。
ありのままの姿見せて良い。
エルサになって良い。
そして、これから死ぬまで
“うまく言葉にできない自分”のままとは限らない。
ズバズバ言える私に
変わっていくかもしれない。
このまま一生変わらないかもしれない。
それで良い。
全部良い。
なんだってどうだって、それが私なのだから。
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